長野地方裁判所 昭和28年(ワ)130号 判決
原告 井上花子
被告 青木一郎(いずれも仮名)
一、主 文
被告は原告に対し金十万円の支払をせよ。
原告のその余の請求はこれを棄却する。
訴訟費用はこれを二分しその一を原告の負担としその余を被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金三十万円の支払をせよ、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、「原告は南佐久郡志賀村三千三百七十三番地農業亡井上又三郎の四女として生れ、同地の尋常高等小学校を卒業して後、前橋市で製糸女工をしたり、実兄が東京都内乃至は疎開先の北佐久郡岩村田町で営んでいた軍服裁縫業の手伝をしたりし、大東亜戦争終了後は右実兄が同町に経営を始めた洋裁学院を卒業して東京都内の洋裁店に勤め、更に昭和二十三年八月以後は実姉てるの姻戚である長野市内の中華料理店に勤めて資本を蓄え、昭和二十五年一月十四日以来同市権堂町鐘鋳川端に軽飲食店「猫八」を経営して現在に至り、現在一ケ月約二万円の収益を得ているものであり、被告は現在下水内郡飯山町で文房具店を営んでいる青木四郎の弟として生れ、後満洲に渡つて同地の大学に入学したが終戦により内地に帰還し、新潟医科大学附属専門部を卒業し(もつとも被告は単に新潟医科大学卒業と称していた)て、長野赤十字病院でいわゆるインターンをし、引続き同病院の産婦人科に勤め、昭和二十六年九月須坂市旭病院に転じて現在月給三万五千円を得ている医師であるが、被告は原告が前記軽飲食店を開業して翌日以来屡々顧客として来店し、日赤に勤めており県会議長の野村二郎の親戚で(同人の親戚というのは実は虚構である)同人方から通つているとか、原告が当時間借りしていた長野市南県町の川西三男方に嘗て下宿していたことがある等のことを語つたところから、原告は被告に対して信頼感と一種の懐しさを覚え、同年三月初旬被告より下高井郡平穏町渋温泉に誘われるままにこれに応じて相携えて同地に赴いた際、結婚を求められて初めて肉体関係をも結び、爾来被告は益々繁く原告の店に寄り、原告が店を閉めるのを待つて共に前記川西方の原告の間借先に来て泊り翌日朝食を摂つてそこから通勤することが多く、そのようにして原告方に宿泊することが一ケ月中二十日前後にも及ぶようになつた。一方被告はその後前記野村方を出たいともいつて、原告の間借りする前記川西方に下宿しようとしたが川西方の応ずるところとならなかつたため、附近の下宿屋青葉荘に下宿することになり、その後更に下宿料が高いため長野市善光寺下の井口政方に間借りするようになつたが、その前後を通じ依然殆んど原告方で寝食をして原告と被告とは事実上夫婦の生活を営んでいたところ、昭和二十八年三月頃より被告は次第に態度を変え、原告よりの詰問に対して前記野村二郎より同人の経営する長野病院の産婦人科に勤め且つ同人の娘と結婚してくれるよう懇望され、これまで同人の厄介になつた義理があり断れないから諦めて別れてくれと申向け、飜意を求める原告の哀願をも一向に聞きいれず、遂に同年五月二十九日以降は原告方には立寄らないようになつた。被告は前記のように原告と事実上の夫婦生活を営んでいる間再三婚姻の届出と挙式とを約していたものであるが、飯山の実兄の同意を得るまで待つてくれと述べていたため、原告は被告の言を信じて来たのであるが、被告は右のように原告との交渉を絶つて婚姻の予約を履行しなかつたものであつて、原告はこれにより多大の精神的苦痛を味つたが、殊に原告は前後六回に亘つて妊娠しその都度被告の勧めに従つて人工妊娠中絶を行いその結果子宮筋腫で手術をしなければ将来妊娠不能であると診断されている次第であり、また前記のような被告との共同生活の費用は被告において四回に亘り白米約五升宛を持参したほかはすべて原告において負担していた事情や、前記のような原被告双方の学歴、職業、収入、或いは被告の欺瞞的態度等の点を参酌して、被告に対し金三十万円の慰藉料の支払を請求する次第である。なお被告主張の事実中原告が被告より三歳年長であること、原告が以前佐川寛と結婚して別れたこと及び被告から手切金として郵送して来た金五万円を原告が受領したことは認めるがその他の事実は否認する。」と陳述した。<立証省略>
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として「原告の主張事実中、原告の本籍がその主張のとおりであること、原告がその主張の日からその主張のような軽飲食店を経営していること、被告が医師であつて原告主張の学校を卒業し長野赤十字病院に勤め昭和二十六年九月から須坂市旭病院に転じたこと、被告が原告主張の頃原告の店に行き、その後原告に対し野村二郎方から前記病院に通つていると語つたこと、被告が川西三男方に下宿していたことがあること、被告が昭和二十五年三、四月頃原告と共に渋温泉に行つたこと、被告が時折原告の間借先に宿泊し朝食を摂つたこともあること及び被告が前記野村方から青葉荘に移り更に井口方に間借するに至つたことはいずれもこれを認めるが、原告の経歴、現在の収入に関する主張事実、原告が妊娠したとの事実、子宮筋腫になつたとの事実は知らない。被告の現在の収入は一ケ月金三万五千円でなく一ケ月金二万五千円である。原告と被告が渋温泉に行つたのは原告から再三誘われたためであつて被告から誘つたものではなく、またその際に被告が結婚を約したことはない。その後被告が原告方に時折宿泊したのも原告の招請によつたものであつて、その回数も原告主張のように頻繁ではなく、多いときでもせいぜい一ケ月四回くらいである。被告が青葉荘に下宿したのは通勤の便利のためであり、また井口方に移転したのも被告が旭病院に転勤したのでやはり通勤の便利のため移転したのであつて、いずれも原告主張のような事情によつたのではない。原告は被告と知り合つた当初未亡人であるといい、後には元経済調査庁勤務の佐川寛と結婚して別れたと称しており、且つ被告より三歳年長であるのみならず、前歴職業等も被告とは不釣合いであつて、被告と夫婦になれるような間柄でないことを十分承知しており、婚姻の挙式届出などのことを原告に対し申入れたことはなく、まして被告がそのようなことを約したことは全くない。従つて原被告間には何ら婚姻の予約は成立していない。そもそも婚姻の予約は当事者間に将来婚姻の成立することを欲して誠実にその実行を期し確固たる信念に基いてこれを約すべきものであることはその契約の性質上当然であり、従つてその意思を確保するに足る事実の存することを要することは言を俟たぬところであつて、これを確保するためには慣習に則り相互間に結納の取替わしをなし婚姻の儀式を挙げ同棲するを以つて普通の事例とするのであるが、原被告間には右のように将来夫婦として共同生活を営む意思表示の存在を確保するに足る事実の存在しないことは既に原告の主張自体に徴しても明かであつて、原被告間には到底婚姻予約が成立したとはいえず、要するに原被告間の関係は単なる情夫情婦の関係乃至はいわゆる男女間の桃色遊戯にすぎない。よつて原告の請求には応ぜられない。なお被告は昭和二十八年五月二十九日原告に対し金五万円を郵送し、原告はこれを受領しているものである。」と述べた。<立証省略>
三、理 由
原告は大正九年六月北佐久郡志賀村で農業を営んでいた亡井上又三郎の四女として生れ、その後原告主張のような経歴で、昭和二十五年一月十四日以来長野市権堂町鐘鋳川端に軽飲食店「猫八」を経営して現在に至り、現在一ケ月一万五千円乃至二万円の収益を得ているものであり、被告は大正十二年七月現在下水内郡飯山町で文房具商を営む青木四郎の弟として生れ、満洲の医科大学で学んだ後大東亜戦争終了後内地に帰還して新潟医科大学附属専門部に転入学し、昭和二十二年三月同大学を卒業後、同二十三年二月から長野赤十字病院でいわゆるインターンを勤め、次いで同二十四年五月から同病院産婦人科に医師として勤務し、当初は無給であつたが昭和二十六年一月から月給五千八百円(後に六千八百円)を支給され、同年九月須坂市旭病院に転じて現在二万五千円の月給を受けているものであり、また被告は昭和二十三年中から医師であつて当時県会議長の職にあつた野村二郎方に同居し、将来同人の養子となり且つ同人の娘(当時中学生)と婚姻する内約の下に経済的な援助をも受けていたものであるが、原告が前記飲食店を開業した翌日の昭和二十五年一月十五日被告は顧客として原告の店に現われ、被告が嘗て下宿していた長野市南県町の川西三男方に当時原告が間借りしていた等のことから互に親しさを感じて、被告は屡々原告の店に行くうち、原告の浅薄でない態度に好感を覚えて「前記野村方の待遇が冷いので同人方の生活が堪えられない、是非一緒になつてくれ」と原告に対し結婚を申込み、原告も亦被告の職業や同居先のこと等から被告を信用してこれに応じ、同年三月初旬被告から誘つて相携えて下高井郡平穏町渋温泉に赴き茲に原被告は肉体関係をも結ぶに至つた。爾来被告は益々繁く原告の店に立寄り、原告が店を閉めるのを待つて相共に前記川西方の原告の間借先に行つて泊り翌日朝食を摂つてそこから通勤するという状態で、そのようにして原告方に宿泊することの方が寧ろ多いくらいであつたが、その後昭和二十六年七月頃被告は前記野村方を飛出して来たといつて帰らないので、原告から前記川西方に被告も一緒に下宿させて貰うよう申込んだが、夫婦者は困ると拒絶されたため、被告は巳むなく附近の下宿屋青葉荘に下宿することになり、その後更に右青葉荘では食事を摂つても摂らなくても一定の下宿料を請求されるところから長野市善光寺下の井口政方に間借りするようになつたが、その前後を通じて被告は衣料品等も大部分原告方に置いて殆んど原告方で寝食をし、昭和二十八年春頃までそのような状態が続いた。その間昭和二十五年十二月末には原告は母や兄弟に被告を紹介するために被告を志賀村の原告の実家に案内して年越しをし、また原告の母かねや弟登が各数回原告の間借先を訪ねた際にも、被告は常に原告方で寝食を共にし、右かねや登を散歩、食事等に連れ出したこともあり、殊にかねとは同じ一室で自分は原告と同衾して床に就き別段自分の下宿先乃至間借先に帰つて寝ることもせず、以上のように被告は原告の親族に対しても実際上原告の夫であるように振舞つていた。そうして被告は原告に対しては再三いずれ正式に結婚の式を挙げて婚姻の届出もすることを約し、ただ挙式は実兄の同意を得且つ費用のできるまで待つてくれと申向けており、前記かねに対しても是非原告と一緒にさせてくれと申述べていたものである。
以上の事実は、当事者間に争いのない事実のほか、いずれも成立に争いのない甲第一、第二、第九及び第十号証、証人井上かね、同井上登、同川西みさお、同田口春子及び同井口わかの各証言、同江東六郎及び同池田まり子の各証言の一部、原告本人の供述並びに被告本人の供述の一部を綜合してこれを認めることができる。証人江東六郎及び同池田まり子の各証言並びに被告本人の供述中右認定に反する部分は信用できない。
そうして前記甲第一及び第二号証並びに同様いずれも成立に争いのない同第三乃至第五号証の各一、二によれば、被告は原告に対し相当程度の愛情を抱いていたのみならず原告の親身な態度や清らかな心根に対して一種の尊敬を払つていたことが十分推察され(もつとも甲第五号証の二の文面は一見右認定に反するように受取られるがそれは表面的な理解にすぎない)、そのことを前記認定の諸事実と考え併せるならば、被告は決して単に一時の慰みで原告に対し結婚を約していたものではなく、真実原告と婚姻し夫婦としての共同生活を営む意思でこれを約していたものと認定することができ、原告も亦将来被告と正式の婚姻をなし得ることを期待してこれに応じたことは前記事実に照し明かであつて、原被告間には婚姻の予約が成立していたものと認めるのが相当であり、原被告間の関係は被告主張のように単なる情夫情婦の関係乃至男女間のいわゆる桃色遊戯にすぎないものとは到底解せられない。
もつとも、前記のように被告は常に一応原告とは別の住居を設けて遂に完全に原告と同居したことはなく、また原告本人の供述によると被告が原告方で起居する生活の費用は被告が四回に亘り白米約五升宛を持参したほかは殆んど原告においてこれを負担し(この点に関し被告本人のこれに反する供述部分は信用しない)、そのかわりに原告は被告が原告の店で飲食した代金はその支払を求めてその関係では被告を顧客として取扱つていた事実及び原告は被告との関係によつて前後六回妊娠したが、正式な婚姻をしていないためにその都度相談の上人工妊娠中絶を行つて一度も原被告間の子を出産しなかつた事実が認められ、更に原告が自らは被告の親族に対して被告との関係を公表したり実際上被告の妻であるように振舞つたりしたような事実については何らの証拠もなく、右のような諸点で原被告間の関係は正式に婚姻した夫婦或いは婚姻の届出だけが済まないいわゆる内縁の夫婦間で通常営まれるような生活関係とは聊か趣を異にするが、そうであるからといつて原被告間の関係を単なる男女間の私通関係であると即断するのは相当でなく、これらの事実は前記認定の諸事実に照し原被告間に婚姻予約の成立したことを認定する妨げとはならない。また被告主張のように原被告間にはいわゆる結納が取替わされたり婚姻の儀式がなされたりした事実については何らの主張立証もないが、そのような結納の取替わし、婚姻の挙式等は通例婚姻予約の成立した場合になされるものとしてこれを認定すべき一の徴憑たるにすぎず、これが行われなかつたからといつて恒に婚姻予約の成立を否定すべきではなく、当事者が真に婚姻し夫婦としての共同生活を営む意思でこれを約した事実の認められる以上は婚姻予約の成立は何ら左右されないものと解するのが相当であるから、原被告間に結納の取替わしや挙式のなされなかつたことも亦前記認定の妨げとはならないと解すべきである。
然るに前記甲第五号証の一、二及び被告本人の供述の一部によると、被告は原告に対する愛情が次第に冷めると共に、昭和二十八年一月頃前記野村二郎の秘書である江東六郎から野村の娘も愈々高等学校卒業が近いのでそろそろ野村方に戻つてはどうかと申向けられ、その際被告は右江東に対し原告との関係を隠さずに話したにも拘らず、江東は原告との交渉をうまく清算するように勧め、別段原告との関係を右野村に告げることはしない様子であつたため、被告は再び右野村との関係の撚りを戻し同人の娘と婚姻してその後援を受けるほうが得策であると考えるに至つたことが推察され、そうして前記甲第五号証の一、二及び原告本人の供述によれば、被告は原告に対して破約の申出をする機会を覗つていたが、同年四月八日に至り些細のことから突然原告との結婚は実兄が反対でそれを押切つて結婚すれば縁を切るといわれており自分は野村の娘と結婚するから別れてくれと申出で、原告より実兄との縁を切つて一緒になつてくれと飜意を懇願したが遂に応ぜず、それ以来原告方には行かないようになり、その後書面でも原告と結婚できない旨を通告したことが認められる。しからば被告はその責に帰すべき事由によつて原告との婚姻予約の履行を拒絶したものであることは明かであつて、被告は右不履行によつて原告に与えた精神的苦痛を慰藉するに足る金員の支払義務あるものといわなければならない。
よつて進んで被告の支払うべき慰藉料の数額について考えるに、前記認定のように、被告が医師であつて現在相当の収入があり(その額は前記のとおり一ケ月金二万五千円であつて被告が一ケ月金三万五千円の収入を得ているとの原告の主張事実を認める証拠はない)その点では原告としては被告との婚姻はかなり良縁であつたと考えられること、原告が前記のように被告と同棲に近い生活を営んで来た期間が三年余にも及んでいたこと、原告が年令三十歳を相当にすぎ将来婚姻をなすことは相当に困難と考えられること等の事情からすると、原告の精神的痛手はかなり大きいと認められ、殊に原告は被告との関係によつて六回に亘つて妊娠しその都度人工妊娠中絶を行つたことは前記認定のとおりであつて、そのために原告が子宮筋腫ができ(指先大の子宮筋腫ができた点のみは証人前田五郎の証言及び原告本人の供述によつて認められる)手術をしなければ将来妊娠不能であるとの原告の主張事実についてはこれを認めるに足る十分の証拠がないけれども、右のように妊娠中絶を数回も繰返せば身体に相当程度の障害をおこす虞のあることは常識として当裁判所に顕著な事実であるから、妊娠中絶を繰返したことによる原告の苦痛も亦相当大であると推認され、その他前記のように被告との共同生活における費用は殆んど原告が負担していたこと等を参酌すると共に、一方原告本人の供述によつて明かなように原告が従前他人と内縁関係を結んだことがあり被告との関係は初婚でなかつた事実、原告が現在相当の収入を得て自活している事実、原告の認める被告が手切金の趣旨で郵送した金五万円を原告が受領している事実等をも勘案して、被告が原告に対して支払うべき慰藉料の額は金十万円を以つて相当と認める。
よつて原告の本訴請求は被告に対し金十万円の支払を求める限度において正当としてこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十二条本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 今村三郎)